2015年12月14日月曜日

史上最悪の宰相

色々と、今日のニュースを俯瞰すると、どうにも怒りを抑えきれない。 アベ政権は、われわれ主権者国民を、完全に見下している。 さんざっぱら、自民党と公明党の間で行われた「軽減税率」をめぐるかけひき。 いかにも「政治的課題」に、真摯に取り組んでいるかのような田舎芝居。 自民支持の「利権のうまみにあずかる層」と、「創価学会上層部官僚」だけが、この国の「肝」の部分に関与できる、この理不尽な「特権」。 「民主主義」という単語をきかされるたび、「へっ」とニヒリズム的に失笑してしまいたくなる。






本当に、あの東条さえ、可愛く思えてくる。 僕らは、史上まれにみる「人でなし」と時代を共有し、あろうことかこの存在を、最高権力者にまで押し上げることを許してしまった。 子や孫、「次の世代」に対する「申し訳なさ」は、来夏までの行動で表していかなければならないだろう。



2015年12月11日金曜日

田舎の出来事

 
今日、北九州からマッサージ機を豊前市まで運んだんだけど、配送先はすごい田舎と聞いていた。
そこは、僕の奥様の実家の近くで、したがって、どのくらい田舎なのか、ある程度は知っていた。
着いたら、助手のT君が「言うほど田舎じゃないじゃないすか」と言う。
「そう?」
 
そう答えたとき・・。
 
ピーっとなにやら泣き声がしたので、「なんだろう?」と声のほうへ行ってみると・・。
 
家と家の間の隙間になんと、立派な角を生やした鹿が倒れて、獰猛そうな犬が二匹、唸りながら首筋に噛み付いている。
 
呆気にとられて、その光景を見ていると、鉄砲を構えたおじさんが走ってやってきた。
 
それでやっと、おじさんが猟師で、犬が猟犬だということがわかった。
 
鹿は虫の息だが、ときどき、鋭い鳴き声をあげる。
 
「どうしようかのう。ここで鉄砲は撃たれんしのう・・」
おじさんはそう呟き、足元にあった大きな石を拾い上げた。
そして、鹿に近づく。
 
おじさんが無表情で石を振り上げたとき、僕とT君は顔を背けた。
 
鈍い音がして、鹿の断末魔の鳴き声が、ひときわ高く、あたりにこだました。
 
この殺戮を目の当たりにして、T君は呟いた。
 
「正真正銘の田舎っすね、ここ・・」
 
 
 

2015年12月9日水曜日

真に国民の生命と生活を脅かすのは、テロや戦争より、TPPだ。

数年前、交通事故で30日ほど入院したときに渡された請求書が、約100万円。
しかし、実際に手出ししたのは約8万円と食事代。それだけで済んだ。
「高額療養費制度」のおかげだ。

そのときまで、そんな制度があるのを知らなかった僕は、日本の医療制度の手厚さに、少なからず感激した。
約一年後、妻が子宮がんで入院したときは、だから、それほど慌てなかった。 日本の健康保険制度は、平和憲法と並んで、「国民の宝」だなと、大袈裟でなく思った。

しかし、その高額療養費制度、見直しの動きが出てきた。 国民の宝の存在自体が気に入らないらしい安倍政権は、憲法につづいて、この素晴らしい医療制度をも形骸化しようとしている。

TPPを突破口にして日本の医療分野の自由化を目論んでいるアメリカの製薬会社。

その「外圧」を、なすすべもなく受け入れようとする売国政権の視線は、国民にではなく、常に太平洋の対岸に向けられている。

「国民の生命と安全、生活を守る」というお題目で安保法案を強引に成立させた安倍政権だが、国民の命と生活を真に脅かしているのは、中国人民解放軍や朝鮮労働党ではなく、日本の医療に資本主義の原理を持ち込み、市場化して大儲けを企む、彼の国の多国籍企業、そのロビイスト、投資家や超富裕層であることを、僕らはしつこく、訴えていくしかない。


治療を受ければ助かるというのに、貧乏ゆえに受けられず、死んでゆかなければならない人が出てくる社会になってしまうのか。

他人事ではないんですよ。
あなたの命が、脅かされているんですよ。

「景気」でしか、政権支持不支持の判断材料にしない、多くの日本人、ひとりひとりの胸倉をつかんで、そう訴えたい焦燥感につつまれる。

2015年12月8日火曜日

とりあえずアベでなければ、なんぼかマシだ

ニュース映像に安倍首相の顔が、大アップで映っていた。
「やだあ、この顔見るの。声もききたくない」
奥様は、悲鳴まじりに叫んで、チャンネルを変えた。
家のテレビはヤフオクで買った中古だが、画面だけは52型と、大きいほうだ。
アップになると、通常の人間の顔の2倍ほどの大きさになるので、気持ちの悪さも倍化するw
 
法華経の方便品に「十如是」という言葉があって、そのうちのひとつが「如是相」。
難しい法理はわからないが、その人間の生命の状態が、「相」、すなわち外見に顕れるということ。
まあ、そんな具合に、自分は理解したつもりになっているのだが。
たとえばある人間が、嫉妬や憎悪、欲望に支配されていれば、おのずと、目つきは悪くなり、顔色もすぐれないものになってくるものだということなのかと。
 
安倍晋三氏の顔は、ここ数年でかなりの変化を遂げているような気がする。
実際に、こういう記事も過去には出た。
もちろん、「加齢」による変化は誰にでもあること。
しかしその変化の内実は、「フケた」というより、「悪くなった」と言ったほうが正確なのではあるまいか。
なんか、ぶよぶよになった「厚い(笑)面の皮」が、思い切り下に引っ張られ、押し下げられたようになっている。
暗闇で、その顔の下から懐中電灯を当てれば、水木しげるの描く妖怪みたくなってしまいそうだ。
そもそも、存在じたいが、鬼太郎が退治すべき妖怪のようなものだとは、前にも言ったけれど(笑)
 
その、「鬼太郎」になれるのかどうか。
民主党の岡田代表と、維新の党の松野代表が、国会で統一会派を組むことで同意したという。
「とりあえず、アベでなければ、なんぼかマシだ」という有権者の受け皿ができる、その第一歩だと、一応歓迎したい。
小沢一郎氏が提唱する「オリーブの木」構想の実現の、「はじめの一歩」だろう。
これに、共産党が合流することを警戒する、フジサンケイグループをはじめとする安倍の提灯持ちメディアが、必死になって、これを潰しにかかるだろう。
 
 
普段は「メディアに騙されるな」などと言いながら、こういう報道を鵜呑みにしている「事情通」がいらっしゃる。
産経グループのスピン報道を疑いもなくネタ元にして、拡散にこれつとめる人物こそ、自公支持者たちには、願ってもない存在だろう。

こういう方にモノを「訊く」のは、少々、気をつけたほうがいいかもしれない。


 

2015年12月6日日曜日

アベか?アベでないか?

今、僕ら主権者国民に提示されている究極の選択肢はそれだ。
それに尽きる、と、僕は確信している。
断言できる。

「アベでないこと」。
それは、澄み渡った晴天のように、くっきりと、僕らのまえに、「進むべき道」を示している。
何も迷うことはない。
「アベでさえなければ」いいのだ。
間違いではないのだ。

アベでないとしても、当然、いろいろな議論があって、対立があって、論争が惹起するだろう。
しかし、悲しむことはない。
なぜなら、それらは、「アベでない」からだ。
いろんな問題を包含しつつも、「アベでないこと」自体が、明日の可能性をひらくからだ。

「アベであること」は、僕らにとって、最大の不幸だ。
しかし、「アベでなくなったら」、一筋と言わず、二筋も三筋も、眼前に光明が指してくるのは、間違いないだろう。

「アベであること」は、最悪だ。
希望や、憬れや、夢や、歓喜が、すべて、閉ざされてしまう。
だから、否定しよう。打倒しよう。
「アベ」そのものを。
きっぱりと、なおかつ、はっきりと。

まったく、そのとおりですよ。
おっしゃるとおり。
惚れ惚れとするほどの、正論であられます。

日々、遂げられた人々に尽くしておられる貴殿に比べれば、平々凡々と、我れと我が妻が生きのびるためだけに、日夜、辛酸を舐めている自分など、ほんのちっぽけな存在でしかありません。

しかし、夫婦ふたり、爪に火を灯すような生活をしておりましても、充実した毎日を送っていますのは、言いたいことを言っても抑圧されることがない自由、他者を殺し、殺されることのない、戦争のない、じつに平和な社会に生きているからでございます。

そのことが脅かされる。
その瀬戸際に立っている。
あなたほどの人物ならば、とうぜん、その自覚はおありでしょう?
維新、次世代、民主党の一部・・。
たしかに、彼らは胡散臭い。
いつでも、仮面を脱ぎ捨てて、人権抑圧と、戦争できる国家への道を突き進む。
それは、あなたのおっしゃるとおり、目に見えている。
しかしね、いまだ彼らは「力」を持たない。
今、自由と平和と民主主義を希求する勢力にとって、もっとも脅威である存在は、言うまでもなく、安倍晋三と、それを取り巻く、極右グループでしょう。
なぜならば、彼らは「権力」を持っている。
同じ改憲勢力でも、維新、次世代、民主の一部とは、くらべものにならない、強大な力を持っている。

まずは、これを潰さなければ。
何よりも優先して、とりもなおさず、とりあえず、これに立ち向かわなければ。
あなたの仰るスタンスは、心情的には理解できます。
維新とか、次世代とか、本当に、ロクでもないです。

しかし、弱小なこいつらに拘って、貴殿のような原理主義的な態度をとるかぎり、確実に、勝つのは、安倍ファシスト政権です。
彼らが勝てば、民意を得たとばかり、留まる事のないファッショ暴走を驀進するでしょう。

中国ではかつて、共産党と国民党という、まるで水と油の政党が共同して、共通の敵である日本帝国主義に立ち向かいました。
こんどの選挙は、政権選択とか、政策選択とか、そんな生易しいものではありません。

人間選択、です。

安倍か、安倍でないか。
とりあえずは、安倍の息の根を止めるべきなんです。
すべての小難しい議論は、そのあとでしょう。
そこまで、われわれは、崖っぷちに立たされているんです。
以上は、約一年前の、わが日記だ。
情勢がかなり、変わっていることに、感慨深いものがある。
この選挙で「大勝」したアベは、一年の間に、秘密保護法制定、平和憲法の形骸化=戦争法可決に、大きく舵をとった。懸念どおりの動きを示したのだ。
 
惜しむらくは、この日記の、冒頭に紹介したツイートの主がシンパシーを感じていたのであろう日本共産党が、今のように、柔軟な対応をしてくれていたら・・と思うと、「少々、遅かったか」感が募ってくる。
 
ともあれ、「アベでない」選択が、本当に、いやマジで、僕らにつきつけられている。
その戦略、戦術を示してくれているのは、ことここに至っても、このひとなのだ。
このひとが5人もいれば、この国は、こういう体たらくに陥っていなかっただろうことを歯噛みするように思いつつ、どうか、以下のリンク先を熟読あられたい。
 
 

 
 
 
 
 
 
 

2015年12月5日土曜日

沖縄に行こう

「沖縄に移住しようか・・」
独り言のようにポツリとつぶやくと、奥方が反応した。
「え?どうして?」
「あ、俺、なんか言った?」たった今、目が醒めたかのような口調で返す。
「沖縄に住もうって」
「そっか、口に出して、言ってしまったんだな、思わず」

無理なことは、わかっている。
周囲の状況が、それを許さない。
子供たち、孫たち、認知症の義母、仕事、取引先・・・。
けれど、知事をはじめとして、ほとんどの住民あげて、国の横暴とたたかっているあの土地を、見捨てていていいのか。
そういう想いに、とらわれていた。

「すまないが、我々の犠牲になってくれ」
そんなことを言う連中に、「はい、承知しました」と従う者がどれだけいるだろうか。
無関心でいること、その「我々」の側に立っていること。
「いつも、あたしみたいな弱い人間の味方でいておくれ」
そう言い残して、20年前に亡くなった母親に顔向けができない。

「住むのは無理としても、決定的な事態になったら、なんとか応援に行きたい。それなら、許してくれる?」
「あなたの好きにしたらいい。そのときは、私も連れてって」
奥方は、そう言って笑った。
君を危険な目には遭わせられないよ・・。
その気持ちをのみこんで、僕は「ありがとう」とだけ、照れたように答えた。


この記事は、いろいろと示唆に富んでいる。
とくに、国=アベ政権の詭弁を暴露したところだ。
承認取り消しによって、今まで使ってきた423億円という税金がムダになるというロジック。
そのほとんどはずさんなアセスメントの作成や過剰な違法警備、コンクリートブロックの投入などで、まともな経費ではない
いまだ明らかにされない総事業費は優に一兆円を超えるであろう。今勇気ある撤退をすれば、税金のムダはなくなり貴重な海の自然を守れる。
裁判所はこうした国の詭弁や恫喝にまどわされず、本格的な審査を進めていただきたい。
自分らが無駄遣いしたカネが、「ムダ」になるというのだ。
まるで、放蕩息子の言い草だ。
ムダになるも、ならないもない。もともとがムダだったのだから。
それと、「国を相手に一地方が勝てるわけがない」という、「沖縄のことは無関心な日本人」の誰もが思っている「なんとなく」の感想だが、なかなかどうして、そうとも言えないことが書かれてある。
たとえ国が勝訴しても、取り消しがなくなって元の承認に戻るだけで、知事が承認権者であることは変わりない。
承認に付した条件(留意事項)違反や変更申請手続き抜きの工事を国が強行すれば、そのことを理由として知事は再度、再々度承認の取り消し(撤回)ができる。 
国は落ち度があるので、その都度、代執行提起訴訟提起という”いたちごっこ”を強いられるだけである。
加えて、知事や名護市長は新基地建設を阻止するためのあらゆる権限を行使できることは言うまでもない。
一年前の知事選における翁長氏の勝利が、いかに大きかったかということだ。
「民意」が、権力の横暴に抗することができなくて、なんの民主主義だろうか。








2015年12月4日金曜日

同伴者


映画が終わって、外に出た。
 「腹、減ったな~」彼は大声で言う。
 「おいしいパスタを食べさせてくれる店が近くにあるんだけど、行く?」私は頬笑みながら、彼に言った。
 「パスタかあ・・・大盛はあるのかな?」
 彼の言葉に、私は思わず吹き出した。

私たちは歩きはじめた。
 今日は自然と彼の腕をとることが出来た。
 五回目のデートにして、初めて・・・・。
それまでは彼のシャツの袖をつまんで歩くのがやっとだった。
ようやく、ふたりの間から、ぎこちなさがとれつつある・・・・。
その実感が私の気持ちを幸福なものにした。

一ヶ月まえのある寒い夜。
ある書店で、以前から欲しかった翻訳ミステリーを見つけて手を伸ばすと、横に立っていた男性も同時に手を伸ばしてきた。
 「失礼」そう言って彼は手を引っ込める。
 「あ、いいんです、私、別の本屋さんで探しますから。どうぞ」私はあわてて言った。
 「いや、そういうわけにはいきません」そう言って彼は固辞する。
しばらく、押し問答がつづいた。

「じゃあ、こうしよう」彼はひとつの提案をした。「僕が、買います。そして、一晩で読んだあと、あなたに進呈します」
なかなかやるじゃん・・と思いながらも、私は同意してしまった。
 彼の笑顔に引き込まれてしまっていたから・・・・。
 訊いてみると彼は三十一歳。
 私と同じだった。
つらい恋の終わりを経験した直後だっただけに、彼のなにもかもが、私にとって眩しく見えた。
 彼も私と同じような時期だったらしい。
おずおずと交際を申し込んできた。
 断る理由など、私にあるわけがない。

彼と腕を組み、しばらく歩く間、私は幸福感に酔いしれていた。
このひとを、この腕を、私は絶対に離さない・・・どんなことがあろうとも・・・。

向こうから歩いてくる人々の中の、ひとりの女性から、すれ違う寸前に声をかけられた。
 「あら、懐かしい!」
よく見るとそのひとは、短大時代の先輩だった。テニスのサークルで一緒だった。
 私はあわてて彼の腕を離し、挨拶せざるを得なかった。
 「本当に、お久しぶりです」
 「そうね。」彼女はそう言ったあと、彼を見た。「彼氏?」
 「あ・・そ、そうです」私は赤くなってそう言った。考えてみれば、知人に彼を紹介するのは初めてだった。顔が火照ってくる。
 彼は「よろしく」と言って、ぴょこんと頭を下げた。
 彼女はなぜか、しばらく彼を凝視していた。
 顔が少し、蒼ざめている。
そして、私に言った。
 「あなたの携帯の番号、教えてくれない?」

彼女から電話があったのはそれから三日後、金曜日の夜だった。
 私は自分の部屋にいた。
 「あなた、私には見えないものが見える能力があるって言ったこと憶えてる?」
いきなり、彼女はそんなことを言う。
 「憶えています。それで有名だったんですもの」私は答えた。
 不安がじわじわ、足元から這い登ってくる。
 「こんなことを言うのはどうかと迷ったんだけど、あなたの身が危険だから、言わなくてはならないと思ったの。彼との交際は、やめた方がいいわ」
 「ど、どういうことなの?」
 心臓が高鳴りはじめる。
 「彼には、同伴者がいる。しかも、性質の悪い・・というより、最悪の同伴者が」
 「・・・・・・・・。」私は声も出ない。
 「あのとき、見えたの。髪の長い、若い女だったわ。真っ赤な服を着ていた。腰から下はなく・・・。どういうわけか、眼がなかった。」

電話を持つ手がぶるぶる震えはじめる。
 「彼女はおそらく、彼から手ひどい裏切りをされ、自殺しているんだと思うの。いや、彼自身が殺したということもあり得る。すさまじい恨みの念が伝わってきたわ。そして、それはおそらく、彼にちかづく女性にも向けられる・・・あなた、このままでは、危ないわ」

 私は震えながら、うしろを振り返った。
そこには彼がいた。
ソファにすわってマンガ本を読んでいる。
 彼の背後に目を向けた。
その薄暗い空間に、赤いものがぼんやり浮かんでいる。
それが、だんだんとはっきり、女の実像を結びはじめた。


(フィクションです)


2015年12月3日木曜日

この国を亡ぼす、「アベ」という名の、ひとでなし妖怪。

子でも、孫でも、身近に幼い存在があるすべての人に言いたいのは、なんでもいい、「本を読ませなさい」ということだ。
絵本もいいが、できたら、「活字本」を。
ここのところ、想像力の欠如していると思われるヤツラの暴言の類いを、見るにつけ、きくにつけ、心底からそう思う。
本を読んで、いちばん身につくのは、想像力だ。
想像力さえあれば、ほぼ、道を誤ることはないと思う。
 
 
岐阜県技術検査課の30代の男性主任が11月29日、神奈川県海老名市の鶴指(つるさし)眞澄市議が「同性愛は異常なのだ」と発言したことを受けて、「同性愛は異常でしょ」などと投稿していたことが分かった。職員の投稿は既に削除されているが、県は処分を検討している。47NEWSなどが報じた。
職員は、2013年9月からTwitterの利用を開始。「西向く侍」というアカウント名のプロフィールには、「36歳某県庁職員。所謂、役人です。 各ツイートは個人の見解です」と記述していた。

 同性愛も問題だが、この地方公務員のツイートでとくに腹が立ったのは、沖縄にかんする内容である。

沖縄県議の伊波洋一氏に対し「馬鹿な沖縄県民は黙ってろ。我々は粛々と辺野古移設を進める」
琉球新報のアカウントに対し「辺野古基地問題が人権侵害?笑わせるな!じゃあ、その人権侵害に抗議して死んだ奴いるのか?チベットやウイグルの人達は決死の覚悟で抗議してるぞ。あれが人権侵害って言うんだよ!2~3人焼身自殺でもしてみろ。」
9月19日の琉球新報の「安倍政権に絶望 県庁前、安保法案反対に1500人怒りの声」という記事に対して「馬鹿どもの喚き声等蚊の羽音に等しい。邪魔だから叩き潰さないとw」
その人たちの身に、自分を置き換えて考えてみる。
想像力がないから、そういうことができず、人を傷つける言葉を並べてしまう。
ネットには、こういうヤカラが溢れていて、耐性のようになっている方も多いだろうが、僕は、何度見ても、胸のむかつきが抑えられなくなってしまう。

こういうあからさまな小者なら、まだ、わかる。こんな馬鹿はゴマンといる。
同じ「想像力の不自由な人間」でも、捨て置けないのは、沖縄知事選のとき、「沖縄県民は本土の防人(さきもり)になれ」などと、堂々と演説してのけた、櫻井よしこのような影響力の大きい有名人だ。

歴史戦がどうのこうのエラソーにのたまいながら、本土の捨て石として、この世の地獄を味あわされ、22万もの犠牲を強いられた住民の末裔に、よくもこんなことが言えたものだ。
本当に、人間の血が流れているのだろうか。

国が、翁長沖縄県知事による辺野古沿岸埋め立て承認取り消しの撤回をもとめた代執行訴訟の、第一回口頭弁論が、本日、福岡地裁那覇支部で行われた。

これは、絶対に、必読だと思う。
最後の部分、「主張」のなかで、知事がアベをdisった部分、本当に秀逸だった。
思わず、喝采を叫んだ。

安倍総理大臣は第一次内閣で「美しい国日本」と、そして今回は「日本を取り戻そう」とおっしゃっています。 
即座に思うのは「そこに沖縄は入っていますか」ということです。 
そして「戦後レジームからの脱却」ともおっしゃっています。しかし、沖縄と米軍基地に関しては、「戦後レジームの死守」のような状況になっています。 
そしてそれは、アメリカ側の要望によるものではなく、日本側からそのような状況を固守していることが、様々な資料で明らかになりつつあります。 
沖縄が日本に甘えているのでしょうか、日本が沖縄に甘えているのでしょうか。これを無視してこれからの沖縄問題の解決、あるいは日本を取り戻すことはできないと考えています。

普天間が「世界一危険な状態」と言いながら、その解決策が「辺野古移転」しかないという、菅官房長官の詭弁的な答弁との、あまりの「格調」の違い。

辺野古基地の建設が長引く、あるいは、永久的に凍結される、その場合の、普天間の「危険性の除去」は、具体的にどうするのか。
翁長知事の問いに、政府の誰もが答えていない。
否、答えられない

「危険性の除去」が第一の課題では、ないからだ。
最初から、「辺野古移転ありき」、なのだ。
危険性など、どーでもいいくせに、それを大義名分とする。
なんという、卑劣千万な政権か。

少し、話が逸れた。
この、翁長知事の陳述のなかで、若干、興趣をそそる部分があった。

私はこれまでに橋本総理大臣、小渕総理大臣、そしてその時の野中官房長官、梶山官房長官等々、色々と話をする機会がありました。

野中先生なども国の安全保障体制の考え方に違いがありませんが、当時、県会議員の1、2期の私に、土下座せんばかりに「頼む。勘弁してくれ。許してくれ」とお話をされるような部分が、どの先生にもありました。

後藤田正晴先生も私が那覇市長になった15年程前にお会いしたら「俺は沖縄に行かないんだ」とおっしゃいました。

私は沖縄が何か先生に失礼なことをしたのかなと思ったのですが、その後の話に胸が熱くなりました。

かわいそうでな。県民の目を直視できないんだよ、俺は」とおっしゃったのです。
 かつての自民党の長老たち。
僕は、「金権政治屋じゃないか」と、ずっと軽蔑してきた。
しかし、現政権の、あまりのひどさに、彼らがアベよりも、数千倍もマシに思えてきている。

大戦末期に、沖縄住民の生命を防波堤として、本土の人間の安寧をはかろうとしたこと。
日米安保体制による矛盾をすべて沖縄に押し付け、自分たちだけ経済成長の果実を手に入れたこと。

そういう、確固とした「罪悪感」、「負い目」みたいなものを、しっかりと自覚できるだけの「人間らしさ」を、かろうじて、彼らは持っていたのだ。

人間らしい「想像力」を持った、古き良き政治家は、すでに絶滅したのか。

人間性を失った妖怪どもが、この国と国民を、奈落の底に突き落とそうとしている。






2015年12月2日水曜日

「妖怪・アベ」をやっつける「鬼太郎」は、僕ら主権者国民である。

妖怪を描いているのに、少しも「怖い」と思ったことがない。
暗い画面が多いけれど、なんともしれない「明るさ」がある。
だから、水木しげるの漫画が好きだったのだと思う。
なるほど、「朗らかなニヒリズム」。
このねずみ男のセリフ、妙に説得力がある。
すごい俗物だと思っていた親戚のおじさんが、あるとき突然、達観したように、「人間の真実の一側面」を、短い言葉で吐いたときみたいな新鮮な驚き。
呉智英氏は、水木氏のもとで、資料作成などの仕事を手伝ったことがあるそうだから、「人となり」は身近に感じてきたことだろう。

自分の主観的な想像だが、「妖怪話」というのは、ながい間の、民衆の営みのなかで、その元となる事実、事件があった結果の、「寓話化」の産物なのではないかと思っている。
恐れられ、忌み嫌われた人外の化け物は、虐げられた者の姿が、投影されているのではないか?
「虐げた側」の「罪悪感」や「鎮魂」など、複雑な想いが仮託され、結晶した姿そのものなのではないかと。
たとえば、桃太郎が退治した「鬼」。
そういう無法者の集団が存在し、殲滅された経緯が、あの民話となって結実されたのではないかと。

権力者でない、「上から目線」でない、庶民の感覚が、水木氏の作品に横溢していると、僕は思う。
僕らが認識させられている「歴史」とは、権力の単純な「移動」「交替」でしかないのかもしれない。
庶民の「目線」から語られる、この「国土」の来歴、有りよう、生活の実相を、「妖怪」という形姿を通して、水木氏は表現してこられたのだろう。

その「庶民」が、強制的に「戦地」へと動員され、他国を蹂躙し、命のやり取りをさせられる「業苦」を味合わされた。
間違いなく、水木氏は、そのひとりだった。
水木氏の描く戦記漫画は、理不尽な環境に強制的に叩きこまれた日本の「庶民」の姿が、ペーソス豊かに描かれていている。

間違いなく、悲惨である。
でもどこか、滑稽である。
「戦争」を描くことで、「庶民」を細かに描くことができた。
しかし、こんな悲しいことはない。
水木氏は、泉下で、そう嘆息しているのでは、あるまいか。

日本は今、その庶民感覚豊かな「妖怪」たちが、強大な力に押しつぶされ、呻吟させられている。
そして、邪悪、凶悪な「妖怪」どもが、権力を手にし、この国を、ふたたび亡ぼそうとしている。

「妖怪・アベ」をやっつける「鬼太郎」は、自分ら主権者国民であることを、肝に銘じたい。


2015年12月1日火曜日

戦争の「第一級の証言者」逝く

漫画家の水木しげる氏が亡くなった。
93歳。
「大往生」と、いうべきかどうか。
 
幼いころから親しんできた漫画の作者の死は、それなりに胸に迫ってくる。
小学校3年くらいだったか、「少年マガジン」で、初めて氏の漫画に接したのは。
「悪魔くん」という作品だった。
主人公が魔法陣から呼び出すと、出てくる悪魔は「メフイスト」という名。
テレビの、実写版の「悪魔くん」で、このメフィストの役は、吉田義夫が演じていた。
東映時代劇の悪役として名を馳せたこの俳優の風貌は、漫画のメフィストそっくりだった。
 
 
背景を病的なほど精緻に描き、登場人物は、極端にデフォルメする。
この特異な画法に、すっかり魅入られ、僕は大フアンになった。
今の今まで、それは続いている。
 
水木氏に親近感を持ったのは、もうひとつ理由がある。
水木氏の故郷、鳥取県の境港市から、日本海を数十キロ離れた沖合に、隠岐諸島がある。
そのうちの、ひとつの小島が、僕の父祖の地なのだ。
境港市は、その先祖累代の土地に向かう、いわば、玄関口だ。
そこから、隠岐までフェリーが出ているのだ。
 
その境港市の商店街が、現在、「水木しげるロード」として、新たな観光名所になっている。
まことに、喜ばしい限りである。
 
じつに人間臭く、魅力ある妖怪たちを、生き生きと描くかたわら、水木氏の、もうひとつの大きな仕事は、「戦争」を描くことだった。
一兵卒として、「あの戦争」に動員され、米軍の爆撃で左手を失った、強烈な「戦争体験」は、次々と漫画化されていった。
そう、水木しげるは、戦争の生きた証言者だった。
しかも、漫画という表現力を駆使できる、「第一級の証言者」だったのだ。
アベ政権を支える自民党は、あろうことか「歴史の歪曲」を、「政策」として掲げている。
このような暴挙を、水木氏はどう捉えていたのだろうか。
 
ともあれ、また一人、「戦争を知っている大人」が冥界に旅立った。
「戦争を知らない子供たち」のなかの、「権力」という玩具を手にいれた、水木氏からみれば、「ほんの餓鬼ども」が、ふたたび「「戦争ができる国」を構築しようとしている。
 
作品の内容から推測するに、水木氏は、きっと「無念」だったに違いない。
 
ご冥福をお祈りする。