2016年2月20日土曜日

平成の今における「言論統制」の「ひな型」

どういった加減か、自分のtwitterアカウントが、ある日突然、凍結されてしまった。
自分はたしかに、辛辣な批判とかを「全然しない」とは言わない。
けれども、意味もなく誰かを罵倒したり、根拠もなくそのひとの何かを断定したり、
そういう、いわゆる「誹謗中傷」など、一切してこなかったと思っている。
まったく不可解であり、6000ものフォロワーを一気になくした事態に、しばし茫然とした。

当然、異議申し立てをしたが、3日経った現在も、ツイ社からは、いまだナシのツブテ。
まあ、仕方ない。あきらめの早い自分は、復活はもうないだろうと思うことにした。
こういうことに囚われていても、なんの益もない。
twitterが世界のすべてだとは、思っていないから。

そもそも、無料で使わせてもらっていたのだ。
どんなに理不尽な扱いを受けようと、文句の言えるスジアイはない。
少し前に、twitterの仕様が変わるというニュースが流れ、そのことにやたら憤慨して、
文句ツイートを連投している方をみかけたが、実に図々しいヤツだと思ったものだ。

自分のことはともかくとして、凍結を食らう前後、身近でも凍結の憂き目に遭うアカが相次いだ。
なぜ、そうなるかは、ツイ社にきいてみないとわからない。
この自分が、そうなってしまったことにチンプンカンプンなのだから。
ただ、ある要因のひとつは、推測できた。

自分にとって気に入らない、「批判アカ」に対して、「凍結」を呼びかけるパワーユーザーの存在だ。
数万のフォロワーを持つユーザーは、それそのものが、twitter界では大きな「権力」となり得る。
その存在が、ひとつの「弱小批判アカ」に対して、「通報して」と呼びかけると、
決して少なくない「通報者」が同調し、「通報行為」に、おそらく邁進する。

ある程度の「報告」が集中すれば、ツイ社の「自動凍結作用」が発動されるのではないかと思う。
そうやって、パワーアカウント権力は、「言論弾圧」を完遂するのだ。
こういうことを見せつけられると、一般の弱小アカウントは、「正当な批判」でさえ、その矛先が鈍る。

たしかに、悪質なアカウントは存在し、他者に粘着したり、罵詈雑言を周囲に浴びせて、多数のひとを傷つける。
そういうヤカラの存在を許さない「仕組み」は、歓迎すべきものかもしれない。
しかし、その「仕組み」が、「正当な批判」を封殺し、言論の質を著しく低下させる「作用」を深化させ得るのだ。
そういう残念な事態を招来させてしまう可能性を、パワーユーザーの暴挙をきっかけとして、感じざるを得ない。

戦前・戦中は、「治安維持法」や「不敬罪」で、民衆の言論を統制することが出来た。
もとより、ネットもSNSもない当時の民衆には、自分の意見を発信する媒体など、皆無に近かった。
しかし、今の時代、法律をつくって言論統制などやれば、きっと世界から非難を浴びるだろう。
では、この時代に適った「言論弾圧」は、どうやればいいのか?

意識するにしないにかかわらず、権力側に「ひな型」として、そのヒントを示しつつある。
昨日も今日も、「アカウント凍結」を呼びかける一部のパワーユーザーがあるとすれば、自分ははっきり、そのヤカラどもを、「民衆の敵」と断じざるを得ないのだ。

2016年2月19日金曜日

お詫び

最新の記事「仁義なき攻撃」ですが、ブログのカスタマイズをしている最中に誤って削除してしまいました。
「今年の記事がぜんぶ消えている」と、一部でご心配いただいていますが、今年になって書いた記事は、これ一本でしたので、そう見えるのも無理はないですね。
申し訳、ありませんでした。