2015年11月8日日曜日

想像力の欠如

貧乏だが家は自分の持ち家だ。
それなりに平穏に暮らしていたが、ある日、隣の金持ちがライフルを手にやってきた。
そして言った。
「今日からこの家は俺の家だ」
銃口をつきつけられては、僕も従うしかない。
「そのかわり、このボロ家を綺麗にしてやるよ」
男はそう言って、金を出して家の内部を改築した。
「どうだ、住みやすくなっただろ?」
男は恩を売るようにそう言う。
たしかに立派な家になったが、男は主として居座ったままだ。
家を返してくれる様子はない。
僕は男の家来のようになって、ここで暮らすしかないのだ。

歴史修正主義者やレイシスト、ネトウヨ、の「歴史観」によく見られる「日本は韓国を併合して鉄道や道路などのインフラを整備して住みやすい国にしてやった」という主張とは、ようするにこういうことだろう。

「自分の国が、あるいは自分自身が、そのような立場になったらどう感じるだろう」という想像力。
人間ならそういう感覚を持つのは当たり前だと思ってきたが、どうも最初からそういうものを先天的に持ち合わせない輩が、世界でも稀な極右政権のもとで、この国土を跳梁跋扈している。



 

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